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東京地方裁判所 平成元年(刑わ)632号 判決

主文

被告人を懲役二年に処する。

この裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。

被告人から金六八一万円を追徴する。

訴訟費用(証人F、同W及び同Xに支給した分)は、その二分の一を被告人の負担とする。

理由

(犯罪事実)

被告人は、昭和二九年三月東京大学法学部を卒業後、同年四月労働省に入省し、労働事務官となり、その後、同省職業安定局業務指導課長、労働大臣官房会計課長、同省職業安定局失業対策部長、労働大臣官房長などを経て、昭和五八年七月八日から昭和六〇年六月二五日までの間、労働省職業安定局長として、職業の紹介及び指導その他労務需給の調整に関すること、労働者の募集に関すること、職業安定法等の法律の施行に関することなどの同局の事務全般を統括する職務に従事し、その後、同月二六日から昭和六一年六月一五日までの間、同省労政局長であり、更に同月一六日から昭和六二年九月二九日までの間、労働事務次官として、労働大臣を助け、省務を整理し、同省各部局等の事務を監督する等の職務に従事していた者であるが、昭和六一年九月三〇日ころ、東京都千代田区〈番地略〉労働省の労働事務次官室等において、株式会社リクルート代表取締役Aから、株式会社コスモスライフ代表取締役B及び株式会社リクルート社長室次長兼同室秘書課長Cを介して、株式会社リクルート等が、労働省職業安定局長であった被告人から、就職情報誌の発行等に対し職業安定法を改正して法規制する問題等に関し、種々好意ある取り計らいを受け、結果的にも右法規制が見送られたことなどに対する謝礼の趣旨及び労働事務次官である被告人から右就職情報誌の発行等に対する法規制の問題等に関し、今後も同様の好意ある取り計らいを受けたい趣旨の下に供与されるものであることを知りながら、昭和六一年一〇月三〇日に社団法人日本証券業協会に店頭売買有価証券として店頭登録されることが予定されており、右店頭登録時にはその価格が確実に後記譲渡価格を上回ると見込まれ、右Aらと特別の関係にない一般人がその価格で入手することが極めて困難である株式会社リクルートコスモスの株式を一株当たり三〇〇〇円で三〇〇〇株譲り受けて取得し、もって、自己の前記職務に関してわいろを収受したものである。

(証拠の標目)〈省略〉

(争点に対する判断)

一  労働省における就職情報誌の発行に関する法規制の検討と株式会社リクルートの対応など

関係証拠を総合すると、以下の諸事実が認められる。

1  株式会社リクルート及びその関連会社と労働行政との関係

(一) 株式会社リクルート(以下、「リクルート社」という。)は、昭和三五年一〇月にA(以下、「A」という。)が設立し、以来、同人が代表取締役社長として経営してきた会社である。当初の商号は、株式会社大学広告であったが、その後、株式会社日本リクルートメントセンター、株式会社リクルートセンターと順次商号を変更し、昭和五九年四月一日に現商号に変更した。なお、Aは、昭和六三年一月代表取締役会長に就任し、同年七月これを辞任した。リクルート社の事業内容は、民間企業から掲載料を得て大学等卒業予定者向けの求人広告等を掲載する就職情報誌(以下、「新規学卒者向け就職情報誌」という。)その他進学情報誌等の各種情報誌の発行、配本等の広告事業、出版事業等である。同社は、昭和三七年四月「企業への招待」(昭和四四年二月「リクルートブック」と改題。)を創刊して新規学卒者向け就職情報誌事業を開始し、その後、これが大学等卒業予定者と求人企業を結ぶ媒体として定着したことから、同事業は同社の中心事業となった。

また、リクルート社の関連会社であった株式会社リクルート情報出版(以下、「リクルート情報出版」という。)は、民間企業から掲載料を得て、転職希望者及び女性向けの求人広告等を掲載する就職情報誌「就職情報」、「とらばーゆ」等の発行、販売を行う広告代理事業、出版事業等を営み、代表取締役社長は、昭和五二年の設立時以来Aであった。当初の商号は株式会社就職情報センター(以下、「就職情報センター」という。)であったが、昭和五九年四月一日前記商号に変更し、昭和六一年一〇月リクルート社に吸収合併された。同じく関連会社の株式会社リクルートフロムエーは、民間企業から掲載料を得て、アルバイト希望者向けの求人広告等を掲載する就職情報誌「フロムエー」等の発行、販売を行う広告代理事業、出版事業等を営み、昭和五七年の設立時以来、平成元年一月までAが代表取締役会長の職にあった。なお、以上の転職希望者向け及びアルバイト希望者向けの求人広告等を掲載する就職情報誌を、以下、「中途採用者等向け就職情報誌」という。

(二) 労働省は、同省所管事項である「労働需給の調整に関すること」、「労働者の募集に関すること」であるとして、従前から、リクルート社に対して、就職協定が遵守されるようにするための環境整備の一環として、リクルートブックの配本時期、それに添付されている求人企業あてのアンケート葉書の記載内容等について、行政指導を行ってきていたところ、他方、リクルート社では、事業部がリクルートブックの配本業務を担当していたことから、同部が労働省との折衝窓口となって就職協定等に関する情報収集に努めてきたもので、したがって、同省との円滑な関係維持を図ることが同部の重要な任務とされていた。

2  労働省における就職情報誌の発行に関する法規制の検討の開始

(一) 昭和三〇年代から登場した就職情報誌は、既に触れたように、新規学卒者向け就職情報誌と中途採用者等向け就職情報誌の二種類がある。これらの就職情報誌の発行事業は、昭和五〇年代に急成長するに至ったが、職業安定法(以下、「職安法」という。)が予定していなかったであろうこのような労働者募集の媒体である就職情報誌に対する位置付けが、明確にされないまま、労働省は、その発行に関して、前記就職協定との関係で行政指導する以外の行政指導を行って来なかったし、発行会社の実態把握もできていなかった。一方では、就職情報誌発行事業の成長に伴い、職業紹介等を事務とする国の職業安定行政の第一線機関である公共職業安定所の機能が相対的に低下するに至った。また、就職情報誌に誇大広告あるいは虚偽広告があるとの苦情が労働基準監督署などに寄せられるようになっていた。

(二) 昭和五五年四月ころ、労働省職業安定局長(以下、職業安定局を「職安局」と、同局長を「職安局長」という。)の諮問機関である。「労働力需給システム研究会」から、労働者派遣事業の制度化とともに、就職情報誌も含めた民間の労働力需給システムと職業安定機関との連携などが提言され、そのころ、同局業務指導課において、就職情報誌発行事業に関する法規制を検討したことがあった。

(三) 被告人は、昭和五八年七月八日、労働大臣官房長から職安局長に就任したが、その直後、労働事務次官D(以下、「D」という。)から、雇用保険法の改正作業及び労働者派遣事業の法制化を指示されたところ、同事業を法制化するためには、労働者供給事業を原則的に禁止している職安法の改正をする必要があったことから、この機会に就職情報誌の発行に関する法規制の検討をも含めた職安法全体の見直しをすることとし、そのころ、職安局の局議において、職安局担当の大臣官房審議官E(以下、「E」という。)及び職安局業務指導課長F(以下、「F」という。)ら部下職員に対し、昭和五九年の通常国会を目指して、雇用保険法の改正作業、労働者派遣事業法の制定及び職安法の全体的な見直しを指示し、雇用保険法の改正作業については職安局雇用保険課が、労働者派遣事業法の制定については同局雇用政策課が、職安法全体の見直しについては、同局業務指導課が、それぞれ検討作業を行うこととなった。

(四) 被告人の右指示を受けたFは、昭和五八年九月ころから、業務指導課長補佐G(以下、「G」という。)らを指揮し、職安法全体の見直し作業の一環として、労働者募集媒体は適正な内容の募集広告を掲載するよう努力すべきである旨の倫理規定及び就職情報誌の発行に関する届出制等の法規制の検討を開始した。

被告人は、同年秋ころから同年一二月ころまでの間、随時、局長室にF、Gらを集め、右法規制等の問題点につきフリーディスカッションを行い、その機会に、被告人は、Fから、前記のような倫理規定、届出制等の法規制を検討している旨の報告を受け、同人に対し、「そのような届出制も含めてよく検討しておいてくれよ。」などと指示し、また、同年一〇月中旬ころ、Fから、前記「とらば―ゆ」に掲載された求人会社が、実際は、愛人バンクであった旨の報道がされたとの報告を受けた被告人は、その機会に、Fに対し、就職情報誌の誇大・虚偽広告の問題に関しても法規制を検討するように指示した。さらに、同月三一日ころ、定例の局議が開かれ、文書募集についての媒体機関の在り方を検討し、そのための法的整備を行う方向での意思決定がされ、被告人から次の通常国会に間に合うように法案の準備をするよう指示がされた。

一方で、被告人は、そのころ、Dに対して、就職情報誌の法規制等については、業務指導課で検討させており、事前届出制から業界に掲載基準を作らせるということも含めて検討中である旨を報告していた。

(五) 同年一二月一三日ころ、Fは、労働省で就職情報誌の発行に関する法規制を検討している旨の情報を業界大手のリクルート社に提供して右法規制検討に対する反応を確かめようと考え、財団法人雇用情報センターの設立についての経過説明などのためリクルート社を訪問した際、同社専務取締役H(以下、「H」という。)、同社社長室長兼広報室長等B(以下、「B」という。)及び同社事業部長I(以下、「I」という。)に対し、「人材派遣業に関する法案を次期通常国会へ提出するんですが、その際に職安法は立法後三〇数年を経過して実態にそぐわなくなっているので、実態を把握し、悪質な会社を排除するためにも民間業者を行政に組み込んでいきたい。許可制がいいか届出制がいいかは別として、民間就職情報会社との関係をもっと強めたい。」などと伝えた。

(六) 昭和五九年一月一〇日ころ、業務指導課において、法規制の検討を進めるためのたたき台として、適正広告提供義務を定めた倫理規定、事前届出制、報告義務、立入検査、業務停止、罰則が盛り込まれた「職業安定法の一部を改正する法律案大綱」(以下、「大綱」という。)がまとめられ、そのころ、被告人は、Fから大綱に盛られた就職情報誌の法規制の概要につき、説明を受け、その方向で検討することを了解した。その後、同月二六日ころ、Fが、リクルート社など一三社の加盟する新規学卒者向け就職情報誌業界の団体である日本就職情報出版懇話会(以下、「懇話会」という。)の会合に出席し、労働省で就職情報誌の発行に関する届出制等の職安法改正を検討している旨を明らかにした。

3  労働省の法規制検討に対するリクルート社の対応等

(一) Aらリクルート社幹部は、Fから昭和五八年一二月一三日ころ伝えられた情報により、労働省において、就職情報誌の発行に関する届出制等の法規制が検討されていることを知り、仮に、就職情報誌の発行について何らかの法規制を受けることになれば、これまで行政のすき間で、行政権力の直接的な介入を受けることなく、就職情報誌発行事業を営み、これを拡大してきたリクルート社及びその関連会社の就職情報誌発行事業に多大な支障を来すおそれがあると考えて強い危機感を抱き、同月二一日ころ及び二三日ころ、Aらリクルート社取締役が出席し、B、同社社長室課長C(以下、「C」という。)らが陪席した同社取締役会において、①職安法改正の原案を入手すること、②与党労働部会長JにAから職安法改正反対の陳情を行うこと、③マスコミに同法改正が妥当なものでないことをアピールすること、④いわゆる社労族の国会議員に②と同様の陳情を行うこと、⑤職安法改正法の成立を遅らせるべく理論武装を行うことなどを決定した。

(二) その後、リクルート社は、昭和五九年一月ころ、前記大綱を入手したが、同月二七日ころ、前同様、Aらリクルート社取締役が出席し、B、Cらが陪席した同社取締役会において、右法規制阻止のため、①被告人、E、Fら労働省幹部に対し餐応接待をするなど種々の方法で、同人らと頻繁に接触を持ち、それらの機会を通じて法規制についての情報収集を行い、法規制反対の働き掛けをすること、②職安法改正案を審議する与党国会議員らに対し、法規制反対の陳情を行うこと、③広告掲載基準を作成し、広告審査機構を設けることなどによる自主規制を目指すため、中途採用者等向け就職情報誌業界においても業界団体を結成して広告審査機構を作ることなどの対策が決定され、その実行のため、かねてから労働省との折衝窓口であったリクルート社事業部を中心とするプロジェクトチームが結成された。このプロジェクトチームの会議には、リクルート社からA、H、同社取締役K(以下、「K」という。)、B、Iらが参加し、就職情報センターからは、同社専務取締役L(以下、「L」という。)らが参加して活動を行った。

(三) 右取締役会の決定に基づき、同年一月下旬ころ、Lらは与党国会議員に対し、就職情報誌の発行に関する法規制を行わないよう協力して欲しい旨陳情した。その結果、被告人は、同年二月ころ、衆議院社会労働委員会委員長M議員から、「職安法の改正を検討しているらしいが、それによって業者を縛るんじゃないだろうな。リクルートがいろいろ言って来ているので、リクルートの言い分もよく聞いてほしい。」などと要請され、また、そのころ、Fから、同人が都内の料亭「治作」でリクルート社から接待を受け、同社から法規制反対の働き掛けを受けたことにつき報告を受けた。さらに、被告人は、同年四月中旬ころ、前同委員N議員からも同様の要請を受けた。

(四) 同年二月中旬ころ、労働省において、労働者派遣事業法案及び職安法改正法案を、同年の通常国会に提出することが日程上困難となったものの、昭和六〇年の通常国会に提出することを目指して、引き続きこれらの検討作業を行っていた。

(五) リクルート社は、被告人ら労働省幹部を接待などする旨の前記取締役会の決定に基づき、昭和五九年三月四日ころ、K、H、Bらが、被告人及びFらに対し、神奈川県のレイクウッドゴルフクラブにおいてゴルフ接待をし、その際、Kらから「就職情報誌の扱いはどうなるんでしょうかね。」などと法規制の検討状況を尋ねられた被告人らは、「まだ検討中だよ。」「今すぐどうこうするというものではなく検討中ですから。」などと答えた。

また、同月三一日ころ、懇話会の代表として、Kらが労働省に赴き、Fに対して、「届出制は民活路線と矛盾する。情報誌規制は言論・出版の自由等に反する。」などと、法規制反対の陳情を行ったが、被告人はそのころ、Fから、右陳情があった旨の報告を受けた。

(六) 同年二月ころ、全国一般東京一般労連が、就職情報誌の誇大・虚偽広告による就職後のトラブルに関する苦情受付・処理機関として「リクルートトラブル一一〇番」を設置し、次いで、同労連が同年三月一三日ころ、就職情報誌に対する指導強化を求める労働大臣あての申入書を労働省に提出し、日本労働組合総評議会も同月一五日ころ、労働大臣に対し、就職情報誌の誇大広告などによる就職後の被害が増大しているので、労働者保護の立場から必要な保護を講じるべきである旨の申し入れを行い、さらに、同年五月初旬ころから「リクルートトラブル一一〇番」の動きが活発化して、これがマスコミでも取り上げられるようになったため、Aは、「リクルートトラブル一一〇番」などによる運動が、労働省内部における就職情報誌の発行に関する法規制の検討を推進させることを危惧し、これを何とかしなければならない旨発言したため、プロジェクトチームのBらは、Aのこの意向に従って、全国一般東京一般労連や野党の国会議員へもリクルート社の立場を理解してもらうよう働き掛けることとした。

(七) このような状況の中、就職情報誌の誇大・虚偽広告の問題は、国会質問でも取り上げられ、同年四月一七日の衆議院社会労働委員会及び同年五月八日の同委員会において、それぞれ就職情報誌に関する行政指導等などについて質問を受けた被告人は、いずれにおいても、直接、法規制の検討には触れず、業界の自主規制を進めてもらう方向で指導している旨の答弁をした。

そこで、Fは、そのころ、右答弁の趣旨の確認かたがた今後の作業についての指示を仰ぐため、被告人に対し、今後は業界全体の自主規制のための広告掲載基準作りなども指導していくが、併せて、引き続き、届出制などの法規制の検討も進めていきたい旨話したところ、被告人は、これを了承し、Fに対し、十分検討するよう指示した。

4  自主規制に向けての労働省の行政指導及びその後のリクルート社の対応等

(一) リクルート社幹部は、自主規制の方向にしか触れていない被告人の国会答弁を聞いてひとまず安心したものの、同月一五日の衆議院社会労働委員会において、雇用保険法の改正法律案が可決された際に、「公共職業安定所における職業紹介機能及び体制の充実強化を図るとともに、就職情報誌紙等の増加に伴う諸問題に対応するため必要な指導を強めること」という附帯決議がなされたことから、やはり法規制が行われるのではないかとの不安を再び抱き、被告人の考え方を確かめようと考え、前記M議員を通じるなどして被告人に面会を求めた。同月一八日ころ、被告人は、これに応じて、都内のパレスホテルにおいて、K、H、Bと面会し、その際、Kらの質問に対し、「国会であれだけ問題が出ると、附帯決議を付けるなと言っても無理な話ですよ。業界が自分達できちんと守るべきことを守って、自主規制することが大事ですよ。」などと答えた。Kらは、その際、被告人に対して、「頑張って自主規制をします。よろしくお願いします。」などと話し、リクルート社は、法規制に反対し自主規制を望んでいる旨を陳情した。なお、同年七月五日、参議院社会労働委員会において、雇用保険法の改正法律案が可決された際にも、衆議院の場合と同様の附帯決議がなされた。

(二) さらに、同年五月二一日ころ、Aらは、プロジェクトチームの会議において、先に法規制阻止を図る目的で就職情報センターを中心として中途採用者等向け就職情報誌業界の団体として結成されていた全国求人誌出版協議会(以下、「協議会」という。)において、統一的な広告掲載基準を作ること及び就職情報誌規制についての反対声明文を作ることなどを決定し、これを受けて、同月二三日ころ、協議会は、職安局長あての、就職情報誌の法規制は言論・出版の自由に反するのでこれに反対する旨の要望書をFに提出した。同人から右要望書について報告を受けた被告人は、Fに対し、「こちらも理論武装しとけよ。」などと指示し、同人は、これを受けて、東京労働基準局等に対し、就職情報誌に掲載された求人広告の誇大・虚偽広告等による被害申告件数につき調査を依頼した。

(三) また、A、Bらリクルート社幹部は、同月三一日ころから、同年六月二二日ころまでの間、数回にわたり、プロジェクトチームの会議を開き、被告人ら労働省幹部に対し、引き続き、法規制反対の陳情をすることや、懇話会でも法規制反対の要望書を労働省に提出することなどを決めた。

(四) Fらは、被告人の了承の下に、前記国会答弁後も引き続き、就職情報誌の発行に関する法規制の検討を進める一方、就職情報誌業界全体による広告掲載基準及びその実施機構作りなどの自主規制に向けての行政指導を行うこととし、同年六月中旬ころから、中途採用者等向け就職情報誌業界内で、以前から競争し、反目し合っていた同業界大手のリクルート情報出版のL及び株式会社学生援護会(以下、「学生援護会」という。)の常務取締役Oと話し合い、財団法人雇用情報センターを事務局として、両社らを参加させた「求人広告研究会」を作り、右研究会において、同業界全体の広告掲載基準の作成などにつき行政指導を行った。

(五) 業務指導課においては、そのころ、大綱に掲げられた法規制についての内容をまとめ、「職業安定法等の一部改正についての考え方」と題するD及び被告人に対する説明文書を作成した。しかし、就職情報誌業界が法規制に強く反対し自主規制を望んでいること、自主規制のための労働省の行政指導も前記のように進んでいることなどを踏まえ、同文書中の法規制案のうち、届出制、報告義務、立入検査、業務停止については、更に慎重に検討することとし、「検討中」との表示を付加した。一方、倫理規定、罰則については、改正案に盛り込む方向で、右表示を付さなかった。そして、F及びGは、同年六月下旬ころから同年七月中旬ころまでの間、順次、D及び被告人に対し、右説明文書を見せて、「情報誌のトラブルの実態について十分つかんでおらず、業界で自主規制の動きも出ていますので、その動きを見ながら届出制等の検討を行っていきたいと思います。」などと右文書について報告したが、Dから、同文書中の罰則については、「罰則までは必要ないんじゃないか。」などと言われたため、被告人に対しては、右文書中の罰則の箇所を斜線で消した上、倫理規定の創設についてのみ改正案に盛り込む方向で引き続き検討することを報告し、被告人は、これを了承した。また、そのころ、被告人は、Dに対し、「情報誌業界は、リクルートをはじめ、法規制に反対しており、業界の風当たりが強く届出制等の法規制は難航しそうです。リクルートなど情報誌業界では、求人広告研究会を作り、そこで倫理綱領や掲載基準を作ろうという動きが進展している。」などと報告した。

(六) その間の同年七月八日ころ、K、H、Bらは、被告人ら労働省幹部に対し、神奈川県の箱根カントリークラブ及びレイクウッドゴルフクラブでゴルフ接待をしたが、その際、被告人らは、Kらから職安法改正による法規制をしないようにとの陳情を受け、職安法改正は労働者派遣事業法の制定とセットで行う予定であり、まだ検討の段階であるなどと返答した。

(七) 同月九日ころ、全国一般東京一般労連が労働省に対し、就職情報誌業界への指導強化を申し入れ、また、同年八月三日ころには、日本社会党政策審議会、同党社会労働部会が労働大臣に対し、「トラブルの多い就職情報誌に対し、行政指導を強め、立法措置を検討されたい。」旨の申入書を提出するに至ったため、Aらリクルート社幹部は、同月七日ころ、取締役会において、法規制を回避するため、さらに、与野党の国会議員や労働大臣及び労働省幹部等へ働き掛けることなどを決め、懇話会は、同月八日ころ、職安局長あての、就職情報誌発行に関する法規制は、言論・出版の自由に反するので反対する旨の要望書を職安法研究会第一回報告書を添付してFに提出し、そのころ、被告人はFからそのことの報告を受けた。

(八) このような中、同月下旬ころ、被告人は、Fから、業界が一つにまとまって掲載基準作りやその実施機構作りに努力するように、リクルート社のAと学生援護会代表取締役P(以下、「P」という。)との仲を取り持ってほしい旨進言され、これを了承し、労働省の費用により、同月三〇日ころ、都内の料亭「宮本」において、被告人を交えたA及びPの三者会談が行われた。その際、被告人は、右両名に対し、従来、反目し合ってきた両社が仲直りをして協力して業界内での自主規制を行うよう指導し、両名もこれを受け入れ、これにより、中途採用者等向け就職情報誌業界においても一致して自主規制の方向に進むこととなった。さらに、被告人は、同日、右会談後、リクルート社本社ビル地下のクラブ「パシーナ」において、Aと懇談し、同人に対し、誇大・虚偽広告防止の観点から、就職情報誌業者が、公共職業安定所に求人票が提出されている求人広告を掲載する場合には、マークを付して就職情報誌に掲載するとの案も示した。

(九) 被告人は、同年九月八日から同月二四日までの予定で、欧米に出張することになったが、その直前ころ、Bは、Aから言付かってきた旨述べて、被告人に対し、餞別名下に現金約一〇〇万円を提供し、被告人はこれを受領した。

5  法規制の見送り等

(一) 同年九月ころには、労働省内部においても、労働省の行政指導を受けて業界全体の自主規制が順調に進むのであれば、法規制は見送ってもよいのではないかとの考えが強くなり、同年一〇月四日ころ、被告人、E、F、Gらが出席して職安局内会議が開催され、職安法改正案の中に就職情報誌の発行に関する法規制は一切盛り込まず、業界内の自主規制でいく旨の職安局の方針が決定され、そのころDもこれを了承した。

(二) 他方、リクルート社のB、同社事業部次長Q、同部付課長R(以下、「R」という。)らは、被告人に対し、同月一三日ころ、神奈川県三浦郡葉山町沖合において、釣りの接待をし、その後同月二〇日ころ及び翌二一日ころにも、H、Bらは、被告人、E及びFに対し、岩手県岩手郡松尾村の竜ケ森レックにおいて、ゴルフ接待をし、その際、被告人は、Hらから「これまで情報誌に対して届出制などいろいろ検討されてきたようだが、方針は決まったのか。我々はこれからどのような努力をすればよいのか。」などと尋ねられて、職安局の前記決定を踏まえ、「業界団体できちんとした組織固めをすればいいのではないか。」などと、リクルート社等業界で自主規制の実施機構が組織され、業界全体の自主規制が行われれば就職情報誌の発行に関する法規制は見送る趣旨の返答をした。さらに、B、Rらは、同年一一月九日ころ及び翌一〇日ころ、被告人に対し、千葉県銚子市笹本町において釣りの接待をした。

(三) その後、同月中旬ころ、週刊誌「週刊ダイヤモンド」に、労働省が総評、大新聞と組んで就職情報誌を潰すための法規制を検討している旨の記事が掲載され、同省内ではDもこれを問題として騒ぎになったことから、被告人は、職安局の前記決定をリクルート社側に明確に伝えることとし、同月一四日ころ、Bを呼んで、「労働省は法規制をする考えがないのでA社長にそのことを伝えてほしい。」などと告げるとともに、前述の同年九月初めころ受領していた現金約一〇〇万円を「A社長にお返し願いたい。」と言って返還した。

(四) Fの指揮の下に、業務指導課においては、同月一七日ころから具体的な職安法改正法案作りの作業に入り、Fは、そのころIらに対し、今回の職安法改正には就職情報誌の発行に関する法規制を盛り込まないことを伝え、同月二七日ころの懇話会の席上、その旨を明らかにした。

その後、同年一二月二〇日ころ、K、B、I、Rらリクルート社幹部は、都内の料理店「やま祢」で、被告人ら労働省幹部を飲食接待した。

(五) 以上のような経過で、新規学卒社向け就職情報誌業界は、同年一一月二〇日ころ、懇話会において広告掲載基準を作成し、他方、中途採用者等向け就職情報誌業界は、同年一〇月二三日ころ、前記求人広告研究会において、広告掲載基準項目につき意見を統一した上、同年一二月、自主規制の実施団体として新たに社団法人全国求人情報誌協会の設立許可を労働大臣に申請し、昭和六〇年二月二七日それが許可され、同協会において求人広告倫理綱領及び広告掲載基準を作成し、以上による自主規制が実施される運びとなった。

(六) その後、職安法改正法案は、労働者派遣法案とセットで国会において審議されるいわゆる整備法案の一部として作成されたが、右法案には、就職情報誌の発行に関する法規制は盛り込まれず、また、これまで労働者の文書募集に関して存したいわゆる頒布通報の規定が廃止されるとともに、広告等により労働者の募集を行おうとする者に対する的確表示義務に関する規定が盛り込まれていた。同法案は、昭和六〇年三月一九日政府提出法案として国会に送付され、修正されることなく、衆議院本会議及び参議院本会議でそれぞれ可決されて成立し、同年七月五日に公布され、昭和六一年七月一日から施行された。

6  その後のリクルート社の被告人に対する接待等

リクルート社においては、その後も、A、K、H、Bらが出席して、被告人に対する飲食接待等を継続した。すなわち、被告人は、昭和六〇年三月二九日ころ、都内の料亭「金田中」において飲食接待を、同年四月二一日ころ、神奈川県の太平洋クラブ相模コースにおいてゴルフ接待を、同年八月五日ころ、右「金田中」において飲食接待を、昭和六一年五月一七日ころ及び翌一八日ころ、千葉県安房郡千倉町において釣り接待をそれぞれ受けるなどし、さらに、同年六月労働事務次官に就任した際には、柿右衛門窯製の水注などの贈呈を受けた上、同年七月一六日ころに都内の料亭「吉兆」において飲食接待を、その後の同年一〇月二四日ころ及び翌二五日ころ、千葉県夷隅郡大原町において釣り接待を、昭和六二年五月一日ころ、都内の料亭「さ可井」において麻雀接待をそれぞれ受けた。さらに、被告人は、労働事務次官を退官した後も、リクルート社から、同年九月二五日ころ、柿右衛門窯製の番茶器の贈呈を、同年一一月二七日ころ、右「吉兆」において飲食接待を、昭和六三年三月二四日ころ、ワイシャツ生地等の贈呈をそれぞれ受けた。

二  本件株式譲渡の客観的事実について

1  本件株式譲渡の申し入れとその譲渡に関する手続

いずれも同意書証であるAの検察官に対する平成元年三月二五日付け及び同月二六日付け各供述調書謄本、Bの検察官に対する同月二六日付け供述調書謄本(不同意部分を除く。)、Cの検察官に対する同月一九日付け及び同月二三日付け各供述調書謄本等によれば、次の事実が認められる(なお、以下においては、供述調書等の謄本につき謄本であることの記載を省略する。)。

(一) Aは、昭和六一年九月中、下旬ころ、株式会社リクルートコスモスの株式(以下、「コスモス株」という。)三〇〇〇株を一株三〇〇〇円で被告人に対して譲渡することを決め、当時、リクルート社の関連会社の株式会社コスモスライフの代表取締役であったBに対し、「今、各界の著名な方々にリクルートコスモス株を勧めているんだが、君は労働省の甲さんと親しいので甲さんに一株三〇〇〇円で三〇〇〇株程勧めてくれないか。甲さんが金がないとおっしゃったら、ファーストファイナンス(リクルート社の関連会社であるファーストファイナンス株式会社を指す。以下、「ファーストファイナンス」という。)からの融資の途もあると言ってくれ。」などと話して、被告人に対してコスモス株の譲渡を申し入れるように指示し、Bはこれを了承した。

(二) そこで、Bは、そのころ、被告人と会い、被告人に対し、右のようにAから指示を受けたコスモス株譲渡の申し入れをしたところ、被告人は、コスモス株三〇〇〇株を一株三〇〇〇円で、その代金合計九〇〇万円全額について、ファーストファイナンスからの融資を受けて購入することを了承したため、Bは、その旨をAに報告した。

(三) 一方、Aは、そのころ、コスモス株の譲渡手続を担当させていた当時リクルート社社長室次長兼同室秘書課長のCに対し、被告人にコスモス株三〇〇〇株を譲渡することにしたからその手続をするように指示し、同人はこれを了承していたところ、そのころ、被告人が譲り受けを内諾したことを知らされたCは、被告人との間でその手続をするため、電話で面会の予約をとった上、コスモス株の譲渡に関する株式売買約定書、ファーストファイナンスからの金員借入れに関する金銭消費貸借契約書、振込指定書兼領収書の用紙を持って、労働省の労働事務次官室に赴いて被告人と面会し、同所において、被告人は、Cの面前で、これらの用紙にそれぞれ署名、押印した。

2  本件株式の代金支払等

次いで、関係各証拠によれば、以下の事実が認められる。

被告人が譲り受けることになったコスモス株は、昭和六〇年四月、コスモス社が増資した際、後に詳しく説明するが、Aの依頼により増資新株を引き受けた会社などから、Aが自ら各社の代表者などの責任者にそれぞれ直接、話をして、買い戻した株のうち、株式会社ドゥ・ベストから買い戻したうちの一〇〇〇株とビッグウェイ株式会社から買い戻したうちの二〇〇〇株とされ、株式売買約定書の譲渡人は、中間省略されて、それぞれ株式会社ドゥ・ベスト及びビッグウェイ株式会社と記載されていた。また、前記株式譲渡に関する手続書類の各作成日付及び株式の受渡時期は、いずれも昭和六一年九月三〇日と記載されたところ、実際にも、同日、被告人が支払うべき代金合計九〇〇万円が、ファーストファイナンスから被告人に貸付けられたが、これは、被告人の振込依頼に基づき、同日、富士銀行王子支店にある株式会社ドゥ・ベストの普通預金口座に三〇〇万円、同銀行同支店にあるビッグウェイ株式会社の当座預金口座に六〇〇万円それぞれ本件株式の売買代金として直接振込入金された。

3  本件株式譲渡の申し入れをした者がBであること

(一) 右1で述べたように、Bから本件株式譲渡の申し入れがあったこと及びCがその株式譲渡手続に来たことについては、これに副う被告人の当公判廷における供述及び被告人の検察官に対する平成元年三月二四日付け供述調書があり、これらは信用できるものと認められる。ただし、本件株式譲渡を申し入れてきたのが、Bであることについては、分離前の相被告人Bが、第一回公判期日において、公訴事実に対する意見陳述として、「私は、甲さんへの株式の譲渡について、AさんやCさんと話し合ったことはありませんし、譲渡行為に関与したことも一切ありません。」と述べていたことに鑑み、若干付言しておくこととしたい。

(二) まず、被告人のこの点に関する供述の経過をみると、被告人の当公判廷における供述及び検察官作成の平成三年六月六日付け捜査報告書(〈書証番号略〉)などによれば、被告人は、昭和六三年一〇月一〇日ころ、本件株式譲渡が明るみに出て新聞記者から取材を受けた際、名前こそ出さなかったものの、Bを指す趣旨の「リクルート社の釣り仲間」から本件株式譲渡の話を持ち掛けられた旨新聞記者に対して答えたが、その際、記者から誘導を受けたわけではないこと、被告人に対する捜査官の事情聴取が始まる前である昭和六三年一一月二一日の第一一三回国会衆議院リクルート問題に関する調査特別委員会において、被告人は、偽証罪の制裁を告げられて宣誓の上、それを持ち掛けられた場所及び時期の点はおくとして、「魚釣りの釣り仲間の元リクルート社員B氏」から本件株式譲渡を持ち掛けられた旨証言していること、その後、平成元年一月一五日ころにフェヤーモントホテルにおいて、熊崎検察官から、検察官からとしては初めて事情聴取を受けた際にも、同検察官に対して、本件株式譲渡の話はBから持ち掛けられたと供述し、同検察官から「Bは否定しているが本当か。」と問いただされて、本件株式譲渡を持ち掛けられた際のBとの会話内容、言葉遣いなどから間違いない旨具体的に説明したこと、その後の検察官の取り調べにおいても、検察官は、Bから株式譲渡の話を持ち掛けられたと供述する被告人に対し、他の人物の可能性はないかを再三追求したにもかかわらず、被告人はその供述を一貫して維持していたことなどの事実が認められる。したがって、この点に関する被告人の右のような一貫した供述は、高度の信用性を有すると言うべきである。

(三) 他方、B及びAの前掲各供述調書の供述内容に特段不自然な点は認められない。

(四) さらに、Bは、リクルート社内で、労働省との折衝窓口である事業部の部長及び事業部担当の取締役を長年にわたって努め、しかも、法規制問題が生じたときに社長室長であって、法規制阻止のためのプロジェクトチームのメンバーとなって活動したことから、労働省及び被告人との関係が深かった上、被告人及びBは、共に魚釣りが好きで、リクルート社がそれまで被告人に対して数回行った釣り接待には必ずBが参加していたことなどの被告人とBとの関係からすれば、本件株式譲渡の話をAから指示されて被告人に申し入れる者として、当時のリクルート社関係者の中では、Bが最も適任であったと認められる。この点に関し、A自身、記憶は明瞭ではないと言うものの、「B君に頼んだのが一番本当かなと思います。彼が甲さんと一番親しく、また釣りに行くとか行ったとかいう話しも記憶に残っているからです。」と検察官に対して供述し(同人の検察官に対する平成元年三月二六日付け供述調書)、Bも、「私は、昭和五九年一二月にAの指示で、リクルートコスモス株を川崎市の助役等に勧めたことがあり、Aは被告人と私が釣りにいくなどして親しいことを知っていたので被告人にコスモス株を勧めて欲しいと私に頼んでいるのだと思った。」旨検察官に対して供述しているところである(同人の検察官に対する前掲供述調書)。

加えて、当時、Aが持つコスモス株譲渡の話を、同人から指示されるなどして政界、財界、官界等の人々に申し入れていたリクルート社関係者には、他に、同社取締役広報室長兼社長室長S、C、L、ファーストファイナンス代表取締役Tらがいるが、これらの者の中に、被告人に譲渡話を申し入れた者がいるとか、あるいは、A自身が直接このような話を被告人に申し入れたとかは本件証拠上認められない(Bに対する贈賄被告事件の第三五回及び第三六回公判調書中の証人Cの各証人尋問調書〔〈書証番号略〉〕は、刑事訴訟法三二八条の書面として証拠調べされたにとどまるが、その中のCが前記Sの指示を受けて被告人のところに譲渡手続に行った旨の供述部分は、信用性がない。)。

(五) 以上の証拠関係を総合すると、本件株式譲渡の話を被告人に申し入れたのはBであることに疑いはなく、右認定に反する第一回公判調書中の前記Bの供述部分は採用しない。

4  Bが本件株式譲渡の話を申し入れた時期及び場所

(一) 弁護人は、被告人への株式譲渡の時期は、検察官主張の昭和六一年九月中旬から下旬ころにかけての時期より、もっと遅い同年一〇月上、中旬である、特に、同年九月二七日以前に被告人への株式引き受け依頼があったとはとうてい認められないと主張し、被告人も、当公判廷では、Bから本件コスモス株の譲渡話を持ち掛けられた時期が同年九月中、下旬ころであるという具体的な記憶はない旨供述している。

(二) そこで、まず、Bの本件株式譲渡の申し入れとの関連が問題とされた同年一〇月二三日及び二四日に行われた被告人に対する千葉県夷隅郡大原町における釣り接待について検討を加える。

Rは、公判廷において右の釣り接待の設営を誰から指示されたかについて、極めてあいまいな供述しかしていないところ、いわゆる特信性が肯定されて取り調べられ、かつ、信用できる同人の検察官に対する平成元年三月一八日付け供述調書によれば、同人は、昭和六一年九月下旬ころ、G8ビル一階のエレベーターホールの所で偶然Bとばったり顔を合わせ、そのときBから「丁度良かった。今度また甲さんと一緒に鯛でも釣りに行こうという話になったんだ。悪いが手配を頼むよ。」などと言われて釣り接待の設営を指示され、大原の釣り宿に手配するとともに、数日後の九月二七日に被告人らの大原までの列車の特急券を購入したことが認められ、客観的にも、同調書添付資料⑨によれば、九月二七日に特急券が購入された内容のリクルート社現金支払伝票中に、出席予定者として被告人の名前が記載されていることが認められる。したがって、右Rの供述調書の供述に符合する内容のBの前掲供述調書の供述部分、すなわちBから被告人に対し、鯛釣りに行くことを誘い、その後、その手配をRに依頼したとの点は信用できるし、さらに、当時、労働事務次官付として被告人の秘書業務を担当していたU(以下「U」という。)が、公判廷において、同年九月下旬ころ、被告人から、「リクルートのBさんから釣りの誘いがあったけれども、行かないか。」と釣りに誘われた旨の証言をしていることは、以上の各証拠の裏付けとなっている。

結局、この大原における釣り接待の話は、Bが被告人に持ち掛けたことが明らかであって、したがって、また、これに副う被告人の前掲供述調書中の供述部分は信用できる。なお、被告人は、当公判廷において、大原の釣りは、Vから誘われたような感じがする旨の漠然とした供述をしているが、右Vの検察官に対する平成元年三月一九日付け供述調書(ただし、不同意部分を除く。)などに照らし、被告人のこの供述は採用できない。

(三) そして、前記特急券購入の支払伝票に照らすと、Bが被告人に右釣りの話を持ち掛けたのは、昭和六一年九月二七日以前ということになる。

(四) 次に、Bが、被告人を右釣り接待に誘った機会と、本件株式譲渡の話を持ち掛けた機会が同一の機会であったかの点であるが、被告人は、捜査段階、公判段階を通じ、一貫して、株式譲渡の話でBに会った際、「久し振りだね。今、何してるの。」と声を掛けた旨その時の会話を具体的に供述しているところ、仮に、前認定の釣りの話の後の別の機会に株式譲渡の話があったとすると、右会話内容の説明が困難である上、被告人は、当公判廷において、Bから株式譲渡の話があったのは、株式売却の一か月程前である趣旨の供述をし、また、「その株の話で会い、釣りの話で会うというような、その時期にそんな二回もバラバラに会うというようなことはないから、じゃ、一緒だった可能性があるのかなという、その可能性としては否定をいたしておりません。」と供述していることなどに照らすと、Bが被告人に本件株式譲渡の話を持ち掛けたのは、釣りの話を持ち掛けたのと同一機会であると認めるのが、相当であり、したがって、これに副う内容の前掲B及び被告人の検察官に対する各供述調書中の各供述は信用できる。

(五) 以上によれば、Bが被告人に対し、本件株式譲渡を申し入れた時期は、昭和六一年九月二七日以前の九月下旬ころと認めるのが相当である。

(六) なお、その場所については、被告人は、検察官に対し、労働省の事務次官室ではなかったかと思う旨供述し、当公判廷においては、場所につき明言を避けるものの、同室であることの可能性を否定していないこと、Uも、被告人から前記のように釣りに誘われたとき、その日、Bが同室に来たのかなと思った旨公判廷において証言していること、Bは、前掲同人の検察官に対する供述調書において、「労働省の事務次官室か或いは政治家等の励ます会等が催された東京都内のホテルのいずれかであったと思います。」と供述していることなどに照らすと、労働省の労働事務次官室と認定して差し支えないとも解されるが、客観的証拠もないことから、その旨の断定はしないこととする。

5  Cが本件株式譲渡手続に来た時期及び被告人が本件株式を取得した日時

(一) 被告人と会ったその日か、その直後ころに、被告人が承知したことをAに報告した旨の前掲Bの検察官に対する供述調書中の供述、被告人への株式譲渡手続を指示された直後、労働省に電話を掛け、アポイントメントを取り、その日かその翌日に被告人と会って株式譲渡の手続をした旨の前掲Cの検察官に対する平成元年三月一九日付け供述調書中の供述、Cが事務次官室へ来たのは、コスモス株を売却する一か月程度前である旨の被告人の当公判廷における供述及びUの公判廷における証言、Cと会ったのはBと会った数日後である旨の被告人の当公判廷における供述などから、Cが労働事務次官室へ本件株式譲渡の手続に行ったのは、Bが被告人にその話を持ち掛けた日の後の間もない日であった可能性が高いと認められるが、客観的証拠もないことから、昭和六一年九月三〇日以前であったと断定することは相当でなく、Wの公判廷における証言及び検察官に対する各供述調書などに鑑みると、同年一〇月に多少入っていた可能性を全く排除することもできない。

(二) したがって、昭和六一年九月三〇日、ファーストファイナンスから、Aが株を買い戻した先である株式会社ドゥ・ベスト、ビッグウェイ株式会社にそれぞれ本件株式譲渡代金の振込がなされる前に右Cの本件株式譲渡手続がなされたとすれば、右振込入金をもって被告人は本件株式を取得したものと認められ、その後に本件株式譲渡手続がなされたとすれば、その譲渡手続の日をもって被告人は本件株式を取得したものと認められる。結局、被告人が本件株式を取得した日時は、前判示のように「昭和六一年九月三〇日ころ」と認定するのが相当である。

三  わいろとなる利益についての認識

弁護人は、被告人には、本件コスモス株につき、店頭登録後確実に値上がりすること及びAらと特別の関係にある者以外の一般人が入手することが極めて困難であることの認識がいずれもなかった旨主張するので、以下、この点を検討する。

1  本件収賄罪の客体となるわいろ

争点となっている認識の点を検討する前提として、本件収賄罪の客体となるわいろを確定しておきたい。

(一) 関係各証拠を総合すると、以下の事実が認められる。

(1) コスモス株の店頭登録時に見込まれた価格

(あ) リクルート社の関連会社であり、不動産の売買及び賃貸等を営業目的とする株式会社リクルートコスモス(以下、「コスモス社」という。)は、Aが昭和四四年六月に、株式会社日本リクルート映画社の商号で設立したものであるが、Aがマンション販売等の不動産事業に進出することを企図し、昭和四九年二月、前記のとおり営業目的を変更するとともに、環境開発株式会社と商号を変更し、さらに、昭和六〇年三月、現商号に変更した。コスモス社の代表取締役は、同社の創立時以来、Aであったが、昭和六〇年七月Lが代表取締役社長に、Aが代表取締役会長に就任し、Aは、昭和六三年七月同職を辞任した。

ファーストファイナンスは、Aが昭和五九年三月にコスモス社販売に係るマンションの購入者に資金の融資業務を行う目的で設立し、その代表取締役は設立時以来昭和六〇年六月までAであったが、同年七月にT(以下、「T」という。)が代表取締役社長に、Aは代表取締役会長に就任し、次いで、Aは、昭和六一年四月同職を辞任した。

(い) Aは、昭和五九年ころから、コスモス株を公開することを企図し、同社内にプロジェクトチームを作るなどして準備を進め、そのために、同年一〇月開催の取締役会で、株式の分割及び単位株制度の採用を決議し、そのころ右プロジェクトチームを発展させて上場準備室を発足させた上、同年一一月、大和證券株式会社(以下、「大和證券」という。)に対し株式公開に関する事務幹事を正式に依頼し、同社の指導の下に、コスモス社の内部体制の改善、整備に取り掛かった。

(う) さらに、株式公開企業にふさわしい株主数の増加を図るため、昭和六〇年二月と同年四月にそれぞれ第三者割当増資(いずれも単価二五〇〇円)を実施した。後者の機会に、いずれもAと親交の深い人物が代表者であり、あるいは、実質的経営者である、株式会社ドゥ・ベストが八万株、ビッグウェイ株式会社が一二万株、エターナルフォーチュン株式会社が二〇万株、株式会社ワールドサービスが二〇万株、新倉計量器株式会社が八万株を引き受けた(以下、右各社をそれぞれ「ドゥ・ベスト」、「ビッグウェイ」、「エターナルフォーチュン」、「ワールドサービス」、「新倉計量器」という。)。右各社において株を引き受けた者らは、Aから、近い将来の株の公開の際には、相当の値上がりが見込まれることなどを聞かされ、それを期待して株を引き受けたものである。

(え) 昭和六〇年夏ころ、株式公開の方法を社団法人日本証券業協会(以下、「日本証券業協会」という。)への店頭登録とすることにし、引き続きその準備作業を続けるうち、第一七期(昭和六〇年五月から昭和六一年四月まで)下期後半に入り、社内体制の整備も進む中、都心の地下高騰ブームの影響を受け、マンションの販売戸数が急上昇して同供給戸数が業界第二位に浮上するなど業績が好転したことなどにより、店頭登録実現の見通しがはっきりし、昭和六一年二月二四日開催の取締役会において、株式の店頭登録に向けた一応のスケジュールを決め、同年五月一九日開催の取締役会において、店頭登録の方法を、創業者であるA所有のコスモス株を分売する方法によること、主幹事証券会社を大和證券、副幹事証券会社を野村證券株式会社などにすることを決定し、さらに、同年八月一九日開催の取締役会において、店頭登録を同年一〇月下旬にする予定とし、その分売株式数を二八〇万株とすることを決定した。

(お) ところで、この分売とは、当該株式会社の創業者等の持ち株を、証券会社に売り委託を行い、売買開始日である店頭登録日に、証券会社が投資家から受けていた買い注文の結果により、一種の入札の形で決定された売買開始日における売買価格(初値)である分売価格で分譲して株式を公開する方法をいう。なお、右売り委託の際には、最低分売価格(理論値)とその一三〇パーセントの価格である最高分売価格が公開され、その範囲内で買い注文が出されて初値が決定される。右最低・最高分売価格は、日本証券業協会の指導により、業界・業態・業績等が類似する会社の株価から所定の算式により算出する方法(類似会社比準方式)で決定されるため、右類似会社が決まれば、最低・最高分売価格もおおむね定まる関係にあった。

(か) コスモス社の上場準備室は、前記類似会社比準方式に用いる類似会社の選択について検討を進めていたが、Aが日ごろマンション販売戸数で業界第一位の大京観光株式会社(以下、「大京観光」という。)や総合不動産業で業界第一位の三井不動産株式会社(以下、「三井不動産」という。)に追い付き追い越せと檄を飛ばしていた上、第一七期決算が好業績であったことから、昭和六一年六月ころ、比準会社を大京観光と三井不動産の二社として試算した結果、最低分売価格が約四二〇〇円、最高分売価格が約五四〇〇円と算出され、その結果をAに報告し、右最高分売価格を初値の目標としている旨伝えた。さらに、Aは、同年六月ころ、及び八月ころの二回にわたり、大和證券の担当者から、店頭登録後のコスモス株の株価の見通しについて、優に五〇〇〇円以上になるとの説明を受け、この認識は、リクルート社及びコスモス社の幹部たちの間にも伝わっていった。その後、同年九月一六日、Aほかリクルート社及びコスモス社の幹部並びに大和證券の担当者らが出席した打合せ会において、Aが、類似会社比準方式における類似会社として大京観光と三井不動産を選択することを指示し、大和證券もこれを了承し、同證券は、その条件で試算した最低分売価格は四一六二円、最高分売価格は五四一〇円であることをAらに説明した。

(き) 同年一〇月一三日、コスモス社は、取締役会において、右二社を類似会社として、直前一か月間の右二社の平均株価を基準として算定し直した結果により、最低分売価格を四〇六〇円、最高分売価格を五二七〇円とすることを最終決定し、同月一四日、幹事証券会社四社の連名で、最低・最高分売価格を右価格とすること、分売予定日を同月三〇日とすることなどを内容とする株式分売申告書を日本証券業協会に提出し、同協会は、同月一五日、理事会の決議でコスモス株の店頭登録を承認した。

(く) コスモス株は、予定どおり、同年一〇月三〇日に店頭登録されたが、分売株数二八〇万株に対し、その約6.7倍に当たる株数の買付け申込があり、そのうち九八パーセントが最高分売価格での申込であったので、分売価格である初値は、最高分売価格の五二七〇円と決定された。翌日から開始された一般取引においても、株価は昭和六二年九月八日に安値が五二五〇円となるまで、高値、安値ともに常に右初値を上回って推移し、その間の最高値は七二五〇円であった。

(け) なお、昭和五九年一月以降本件コスモス株の店頭登録までに店頭登録された株式は、三八銘柄あり、そのうち分売により公開された六銘柄は、いずれも初値が最高分売価格と一致し、かつ、店頭登録後の株価が最低三か月以上右初値を上回って推移しており、また、売出し、売出し公募により公開された三二銘柄についても、すべて初値が公開価格である当該売出し価格を上回り、その後もほとんどが一か月以上にわたり右公開価格を上回って推移していたとの状況があった。

(2) Aが設定した本件譲渡価格について

(あ) Aは、前記のとおり、コスモス株の店頭登録後の株価が五〇〇〇円以上になることを十分に認識していたので、昭和六一年八月中旬ころ、愛社精神を鼓舞し、幹部職員としての自覚を持たせるため、コスモス社の役職員に対し、コスモス株を予想される公開後の価格より安く取得・保持させることを企て、次いで、同月下旬ころには、リクルート社及びその関連会社と仕事上の関係があり、又は、Aと個人的親交のある、社外の者にも、A個人やリクルート社及びその関連会社へのこれまでの親交ないし協力等に対する謝礼及び将来にわたっても同様であってもらいたい旨の依頼の気持ちを込めて、コスモス株を前同様の低廉な価格で譲渡することを企図した。そこで、昭和六〇年四月に実施した第三者割当増資の引き受け先のうち、Aと親交の深い人物が経営するドゥ・ベストなど前記五社からコスモス株を買い戻した上、日本証券業協会業務委員会の内規違反を免れるため、右各社から直接これらの者に対し譲渡する形を取ることにした。そして、Aは、昭和六一年八月中旬ころ、右買い戻し及び譲渡の価格についてWと相談し、買い戻し先には、増資の際の引き受け価格二五〇〇円に金利相当分などとして五〇〇円を付加し、一方、譲受人には、税務上低廉譲渡の問題が生じないよう、類似会社比準方式により説明し得る価格ということで、いずれも一株三〇〇〇円と決定し、同年八月下旬ころから同年九月中旬ころまでの間、自ら右五社の経営者らに話して右各社が所有するコスモス株を一株当たり三〇〇〇円でAに売り渡すよう申し込み、それらの者から、エターナルフォーチュン所有の二〇万株、ワールドサービス所有の二〇万株、ドゥ・ベスト所有の八万株、ビッグウェイ所有の六万株、株式会社三起(以下、「三起」という。三起は、新倉計量器から、同社が前記増資を引き受けた八万株、さらに、株式会社ヤクルトから購入していたコスモス株八万株の合計一六万株を譲り受けていたものである。)所有の一六万株をAに売り渡す旨の承諾を得た。

(い) Aは、前記のようにして買い戻した合計七〇万株のコスモス株のうち、三〇万株をコスモス社の役職員ら一七名に対し、四〇万株を取引関係者ら会社外の者約六〇名に対し、いずれも一株三〇〇〇円の価格で譲渡した。その際、株式売買約定書は、右買い戻し先各社の了承を得て、中間を省略して、Aから譲り受けた者が直接右各社から譲り受けた形に作成させた。また、社外の譲受人が希望すれば、ファーストファイナンスから、譲り受けに係るコスモス株を担保に、金利を年七パーセントとする譲り受け価格全額の融資を受けさせることとした。

(二)  以上の事実関係によれば、本件コスモス株は、被告人に譲渡された昭和六一年九月三〇日ころにおいて、約一か月後に予定されていた同年一〇月三〇日の店頭登録時には、Aが一株三〇〇〇円に設定した本件譲渡価格を上回り、同年九月一六日に試算されていた最高分売価格程度の初値、すなわち一株五〇〇〇円以上の価格を付けることが確実に見込まれていたこと、また、右譲渡当時、いまだ未公開株であるコスモス株を、しかも、一株三〇〇〇円の右のように低廉な価格で入手することは、譲渡人であるAらと特別の関係にない一般人にとっては極めて困難であったことがそれぞれ明らかであるから、そのようなコスモス株を一株三〇〇〇円で取得できる利益は、それ自体が収賄罪の客体となるものというべきである。

2  右利益についての認識

(一) 本件株式譲渡主体についての被告人の認識

(1) 被告人は、当公判廷において、Bからの話は公開前に新株が発行されてそれを引き受けるという話であり、その際、Bは誰に頼まれてきたということを言わず、したがって、特に誰からとは思わなかった、強いて言えば、Lからかと思った、結局、この話をAからの株の譲渡話であるとは認識しなかった旨、及び、BがAから言われてきたと説明したことを供述する前掲検察官に対する供述調書は、取調べ検察官から「Aからだったと思え。深く反省すればAからだと思うはずだ。」などと強く言われ、いくら言ってもこれはだめだ、裁判所で言おうと思って妥協したことにより作成された旨をそれぞれ供述する。

(2) しかしながら、Cの当公判廷における供述及び同人の検察官に対する平成元年三月一九日付け供述調書並びに被告人の当公判廷における供述などによれば、Cが手続に来た際、同人が被告人に対し、リクルート社社長室次長等と肩書の入った名刺を渡し、口頭でもリクルート社のAの秘書のCですがと名乗ったこと、その際、被告人は、株式売買約定書合計四通に署名・押印したことなどの事実が認められるから、被告人は、遅くとも、その時までには、Bから申し入れのあった話がAからの株の売買であることを認識したものと認められる。

(3) また、Bの申し入れの時点に遡っても、BはAの指示でその使いとして来ているのであるから、Aの名前を出すのが当然と考えられるし、過去にも、昭和五九年九月ころ、Bが、被告人に対し、Aの使いである旨を述べて、餞別名下に現金約一〇〇万円入りの封筒を渡し、被告人がこれを受け取ったこと、その後の同年一一月一四日ころ、被告人は、Bを介して、Aに対し、労働省としての法規制見送りの決定を伝えるとともに、右現金を返したこと、それまで、被告人は、リクルート社から種々の接待を受け、特に昭和六一年六月の事務次官就任の際には、リクルート社長のAから前記の高価な贈物を受け取ったほか、Aも出席して前記料亭「吉兆」での飲食接待を受けていることなどのそれまでの被告人とAとの関係などの事情に照らすと、Bが本件株式譲渡の申し入れに来た際、被告人に対しAから言われて来た旨を述べたと供述するB及び被告人の検察官に対する前掲各供述調書は、信用できる。これに反する被告人の当公判廷における供述は信用できない。

(二) 箔付けのための株式引き受けとの主張について

次に、被告人は、当公判廷において、Bの話を聞いて、以前就職協定との関連でリクルート社に対し行政指導をした際、これに応対したLに対し、「若いのになかなかの侍」という印象を持ったが、そのLが社長をしているコスモス社が株を公開するに際し、リクルート社関係者が、株の箔付けのために、知名の人に引き受けをお願いして回っているんだと思って、一口協力せずば男がすたると考えて新株を引き受けたもので、値上がり確実な株の譲渡を受けるという意識はなかったと供述している。

まず、公開前の新株の引き受けであるとの供述が採用できないことは先に述べた。

次に、被告人がLを侍であると評価するようになった出来事として被告人が供述するところは、被告人が業務指導課長時代の相当昔の話であることなどからすると、そのようなことを理由として本件株式引き受けに協力したとする被告人の供述は直ちに信用できない。さらに、それまでのLやBと被告人との関係からして、九〇〇万円もの多額の金銭をファイナンス会社から借り入れてまで、箔付けに協力するような事情は窺えないこと、被告人によれば、箔付けというのは、株券に被告人の名前が記載されることに意義があるというものであるところ、後に本件株式を売却する際に株券を手にした時、自分の名前が株券に記載されていないことについてBらに対し、何らの確認もしていないことなどから、箔付けのために株を引き受けたとする被告人の供述は、極めて不自然であり、採用できない。

(三) Bの被告人に対する説明

被告人は、当公判廷において、Bがコスモス株の引き受けを申し入れに来た時、Bから、リクルート社の子会社であり、Lが社長をしているコスモス社が株を店頭公開することになったこと、店頭公開の日は一〇月末であることを聞いたこと、さらに、「それは一株いくらだよ。」との問いに対し、「一株三〇〇〇円でございます。」と、「えらい高いな。それは一体少しは上がるのかい。」との質問に対し、「ええ、上がると思いますよ。」と、「おれもたいして金持っているわけではないので、最小限の一〇〇〇株にしてくれよ。」との発言に対して「まあそうおっしゃらないで、せめて三〇〇〇株お願いします。融資の途もございますから。」という被告人とBとのやりとりがあり、そして年七パーセントの利息についてもBから聞いたことを供述している。なお、以上は、被告人の検察官に対する前掲供述調書中の供述とほぼ同旨である。ただ、当公判廷においては、店頭公開後自由にお売り頂いて結構ですとは聞いていないと供述するが、実際に、被告人は、店頭登録直後の昭和六一年一一月五日、本件株式を全部売却しているが、その売却に際し、売却してもよいかとの確認をした形跡も窺われないことに照らすと、右供述は信用できず、そういう趣旨の話を聞いたとする被告人の検察官に対する前掲供述調書中の供述が信用できる。

(四) その他の事情

(1) 被告人の当公判廷における供述などによれば、被告人は、本件株式を譲り受けた年の六月に建売住宅を購入した経験があったことから、当時は、不動産ブームで住宅やマンションの値上がりが著しいことを十分認識していたため、マンション株なら上がるだろうとの認識を持っていたこと、被告人は、父親から相続した株などを売却したほか、日本経済の勉強のためにと電機関係会社の株を購入するなどの経験を持ち、山一證券に株式の取引口座を有し、株取り引きに関する最低限度の知識を有していたもので、本件株式の譲り受けに際しても、それが市場に流通していない未公開株であって、それが約一か月後に市場に公開されることの認識を持っていたことが認められる。

(2) さらに、前認定のとおり、被告人は、就職情報誌に対する法規制検討の最中、リクルート社から頻繁に接待を受け、また法規制見送り後も、引き続き接待を受けていたという、リクルート社と被告人との関係、ことに、昭和五九年九月に餞別名下に約一〇〇万円の金員をBを介してAから受け取った事実に照らすと、リクルート社の社長であるAからわざわざBを介して持ち込まれる話が確実に被告人に対し経済的利益をもたらすことはあっても、不利益を負わせる余地のあるものとはとうてい考えられないという事情、本件九〇〇万円という相当多額の株の売買を、Bが、その売買代金全額につき、当該株を満額に評価して、年利七パーセントで融資する条件まで付して熱心に勧めていることなどの事情も存するところである。

(五) 事後的事情

さらに、事後的事情であるが、被告人は、店頭登録後間もない同年一一月五日ころ、日本経済新聞の店頭登録株価欄で大幅に値上がりした同株価を知り、直ちにこれを売却することとし、被告人の秘書を務めていたUにその手続を依頼し、同月五日、本件三〇〇〇株のコスモス株を一株五四二〇円で売却したこと、そして、同月一〇日、その売却代金(手数料差引分)一六〇二万八二六〇円が被告人の銀行預金口座に振込入金され、同日、被告人は、ファーストファイナンスの銀行口座に借入金の元利返済金として九〇七万〇七六七円を振り込んで返済したこと、被告人は、このようにして得た利得を貸付信託などで運用していたことなどの事実が認められる。

(六)  以上の事情の総合

以上(一)ないし(五)で述べた事情を総合すると、被告人は、本件株式の価格が約一か月先の公開時に本件譲渡価格を上回ることが確実であること、したがって、また、そのような特別な利益をもたらす公開前の本件株式を本件譲渡価格で入手することがAらと特別な関係を有しない一般人には極めて困難であったことにつき、それぞれ認識を有していたと推認できる。

(七) 被告人の自白調書

被告人は、検察官に対する前掲供述調書において「Bの話を聞くと、『各界の知名な方々にお願いしている。』という話だったので、それはAさんが各界の知名人に限定して株の儲け話を持ってきてくれたものかなと思いました。私は、リクルート内では一番親しいBから持ち込まれた話であり、この株譲渡の話の前にも釣り接待を受けたり、飲食接待を受けたり、柿右衛門の水注を贈ってくれたり、一〇〇万円位の餞別をくれたリクルート社のAさんの指示による株譲渡の話と思われましたので私にこの株譲渡で儲けさせてくれる話であると安心して株の購入を承知したのです。」等と供述し、当時、右のような認識があったことを認めている。そして、右自白は、前記の諸事情に照らし、合理的かつ自然であって、信用性を有すると認められる。

(八)  付言

ところで、弁護人は、被告人は、本件株式購入の際、店頭登録の仕組等についての知識はなく、また、Bからも店頭登録の仕組等について説明を受けていないから、値上がり確実性の認識はなかった旨主張する。しかし、本件において、値上がり確実性の認識があったと認定するについて、被告人が、店頭登録の仕組の詳細や店頭登録時に見込まれる本件株式の具体的価格等についてすべて正確に把握していたことを要するものではなく、本件株式の価格が公開時に、Aから指定された一株三〇〇〇円の譲渡価格を上回る値が付くことが確実に見込まれることの認識があれば十分である。そして既に述べたような諸事情から被告人にその認識があったことは十分推認できるばかりか、被告人の検察官に対する前掲供述調書中、その認識を認める趣旨の供述は信用性を有すると認められ、被告人にその認識があったことは明らかであるから、この点に関する弁護人の主張は採用できない。

四  職務に関する不正の対価であることの認識

1 本件の利益供与が被告人の職務行為に対する対価であること

(一)  既に前記一で認定したところが含まれるが、関係証拠によれば、昭和五八年一二月ころ、労働省が、就職情報誌に対する法規制を検討し始めたことを知ったAらリクルート社幹部は、それがリクルート社及びその関連会社の就職情報誌発行事業に多大な支障を与えかねない重要な問題であると受け止め、強い危機感を抱いたこと、すなわち、Aらは、リクルート社にとって、これまでどおり営業成績を伸張していくには、行政による介入を排し、何よりも自由な就職情報誌作りができる状況が担保される必要があると考えていたこと、リクルート社では、取締役会等でその対策を協議し、その実行等のためのプロジェクトチームを結成した上、右法規制に関する情報収集及び反対の陳情のため、さらに、リクルート社等に好意ある取り計らいをしてもらいたい趣旨で、被告人ら労働省幹部に対して頻繁に接待をするなどしてきたこと、Aをはじめとするリクルート社幹部は、被告人から、その間、パレスホテル、その他ゴルフ接待の機会に、労働省の法規制検討状況の教示を受け、自主規制に向けた指導、助言を受け、さらに、Aと学生援護会社長との仲を取り持つなどして、中途採用者等向け就職情報誌業界内の自主規制に向けて尽力してもらい、結果として、昭和五九年一〇月、労働省が、職安法改正に当たり、就職情報誌に対する法規制を行わないことを決定し、リクルート社の望みどおりとなり、同年一一月、そのことをBを介してAに伝達してもらったことなどに対して感謝の念を抱いたこと、その後も、リクルート社は、被告人ら労働省幹部に対して種々の接待などを継続していたことなどの事実が認められる。

(二)  そして、法規制問題に右のような対応をしてきたリクルート社の社長であるAが、被告人に対し、前記二で述べたとおりの株式三〇〇〇株、すなわち総額六〇〇万円以上の利益を確実にもたらす本件コスモス株を、その購入資金全額について関連会社から融資をするということさら有利な条件のもとに譲渡しており、関係証拠によれば、Aと被告人との間にはこのような利益の供与を説明できるような個人的な交際関係はなかったと認められることをも併せ考慮すると、右譲渡は、Aが、労働省職安局長であった被告人の前記職務行為に対する謝礼の趣旨及び今後も労働事務次官である被告人から右問題等に関して同省の職安局職員らを指揮して、同様の好意ある取り計らいを受けたい趣旨の下になされたことが優に認められる。

(三) Aは、平成元年三月二六日付け検察官に対する供述調書中において、「今後の株譲渡において、こうした甲さんの人物像に惚れ、それだけでも喜んでいただきたいという気持ちは理解していただきたいと思います。」などと述べているが、他方、被告人をリスティングした理由として、被告人に職安法の法規制等で尽力していただいたこと等仕事の絡みがあったことを認め、かつ、「私共の商売は労働省、中でも職安局と常時、対立・緊張関係にありましたので、そうした仕事において、私共に真摯な御理解をいただき、不必要な行政の介入はしない様にしていただきたいという思いがあったことは否定いたしません。」と供述しており、また、Bは検察官に対する前掲供述調書で、前記のような贈賄の趣旨を認める供述をしており、これらはいずれも信用できるものと考えられる。

(四)  弁護人は、被告人は、リクルート社に対し、種々便宜な取り計らいをしたことはない旨の主張をもしているので、検討するに、そもそも、正当な職務行為であっても、それがある者にとり利益であるなどして、その者が謝礼を贈る理由となれば、その謝礼と職務行為との間には対価性があると認められる。本件において、被告人の職安局長時代の職務行為についてみると、この法規制の見送りが、被告人において、リクルート社の頼みを聞いて、法をまげて行ったとか、著しく妥当でない行政判断であったとかは、証拠上、認定できないが、法規制に関して接触を求めてくるリクルート社の者に対し、パレスホテルあるいはゴルフ接待の機会に、法規制検討状況の教示をし、あるいは、指導、助言するなどは、リクルート社にとって好意ある取り計らいと言うほかないと考えられる。したがって、被告人の右好意ある取り計らい、さらに、Aと学生援護会社長との仲を取り持つなどにより自主規制を行政指導した被告人の尽力、結果としても、労働省職安局長としてリクルート社等が希望するとおり法規制を見送る決定をしたことなどに対し贈られた本件の利益供与は、被告人の職務行為との対価性に欠けるところはない。

2 本件の利益供与が被告人の職務行為に対する対価であることの認識

(一)  前記四1で述べたとおり、リクルート社の社長であるAが、被告人の職務行為に対する対価として本件の利益を供与したものと認められるところ、前記三2で述べたように、被告人は、Aから持ち込まれた本件株式譲渡がわいろとなり得る利益であることを認識していたこと、前記一で述べたところから明らかなように、被告人は、法規制問題が生じたときの労働省とリクルート社との緊張関係を十分認識していたこと、しかも、そのころから本件株式譲り受けに至るまで、リクルート社から、頻繁に、被告人から好意ある取り計らいを受けたいなどの趣旨の下に前記各接待等を受けていたこと、被告人とAとの間には、被告人の職務を離れては、特に、個人的な交際関係はなかったことなどを考慮すれば、被告人は、Aが前記の趣旨で本件株式譲渡を申し込んできたことについても認識していたと認めるのが相当である。

(二) 被告人は、検察官に対する前掲供述調書において、概略、「このような儲け話をAさんがBと相談の上、Bさんを介して私に持ち込んでくれたのは、私が職安局長時代に法規制を検討した際に検討状況について、私の考え方を教えてあげたことやAとPの間を取り持って、自主規制に尽力してあげたことに対する謝礼の趣旨や、結果として法規制を見送り自主規制方針をとったことに対する謝礼の気持ちや、今後も法規制の問題が起こったときや、労働基準法違反等の問題が起こった際には、リクルート社のために便宜な取り計らいを受けたい趣旨でコスモス株の譲渡話を持ち込んでくれたものと思っていた。」と、右認識を認める趣旨の供述をしているところ、右供述は、既に述べてきた客観的事情に照らし、自然であって信用できる。

(三)  弁護人は、被告人は、リクルート社関係者から、ゴルフ、釣り、飲食等の接待を受け、また海外視察の餞別を置いていかれたことがあったが、それらの多くは、社交的儀礼と言うべきもの、人事異動に伴う顔つなぎ、釣り仲間同士の趣味的な集まりなどであり、また、右餞別も後日返却している、したがって、それらが法規制問題等に対する一連の謝礼であるとの認識はなく、まして、法規制見送りから二年も経過した後での本件株式引き受けの依頼が、右のような趣旨の下になされたことは思いもよらなかった旨主張し、被告人もこれに沿う供述をしている。

(1)  はじめに、本件株式譲渡は、昭和五九年一〇月に労働省内部で法規制の見送りが決定されてから、約二年たってなされたとの点について検討するに、過去の行為に対する謝礼の趣旨のみであれば、たしかに相当期間経過後に謝礼を贈ることは不自然であると見うる余地もあろうが、本件の場合、既に述べたように、過去の被告人の職安局長当時の職務行為に対する謝礼の趣旨のほか、昭和六一年六月に労働事務次官に就任した被告人から、同様の問題等が起こった場合に、リクルート社等に好意ある取り計らいを受けたい趣旨も併存しているのであって、法規制の見送り決定から約二年経過していたからといってなんら不自然ではない。しかも、就職情報誌の法規制問題が再燃する可能性があることは、被告人も当公判廷において供述しているところである。さらに、法規制の見送り決定後も、リクルート社は、被告人に対し、法規制の見送りに感謝するとともに、今後ともリクルート社等に好意ある取り計らいをしてもらいたいとの気持ちで接待を継続していたとの事情も認められ、いわば本件株式譲渡は、法規制見送り決定前後を問わず、継続して被告人に対してなされてきた接待等の延長線上にあるものと把握することができ、結局、本件の利益供与が法規制の見送りから二年近くたってなされたものであるということが、被告人において、それが自己の職務行為に対する対価であると認識することの妨げとなるものとも認められない。

(2)  次に、各接待は、社交儀礼、人事異動に伴う顔つなぎ、釣り仲間同士の趣味的な集まりである旨の主張は、そのような色彩がそれらに全くないとはいえないが、接待等に要した費用、回数及び前記一で述べたような当時の労働省とリクルート社との関係に照らせば、既に述べてきたように、法規制問題等に関し、被告人らから好意ある取り計らいを受けたいなどの趣旨の下になされたもので、そのことを被告人においても認識していたことは否定できないというほかない。

なお、Bを介してAから受け取った約一〇〇万円の餞別を返却したとの点についても、返却の時期、そのきっかけなどに照らすと、むしろ、一連の接待と同様の趣旨の下に供与されることを認識しながらこれを受領したものの、後になって、週刊誌に労働省が法規制を進めようとしていることを非難する記事が出たことなどからこれを返したものと認めるのが相当である。

(法令の適用)

被告人の判示行為は刑法一九七条一項前段に該当するので、その所定刑期の範囲内で被告人を懲役二年に処し、後記情状により同法二五条一項を適用してこの裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予することとし、判示犯行により被告人が収受したわいろは全部没収することができないので、同法一九七条の五後段により後記のようにして算出したその価額金六八一万円を被告人から追徴することとし、訴訟費用(証人F、同W及び同Xに支給した分)は、分離前相被告人Bと併合審理中に支給した費用であるから、刑事訴訟法一八一条一項本文によりその二分の一を被告人に負担させることとする。

なお、本件において被告人から追徴すべき価額は、本件わいろが収受された昭和六一年九月三〇日ころにおける本件わいろとしての判示の利益の価額であるべきところ、それは、本件わいろの授受時点における本件株式の価格から被告人の譲り受け価格を控除した額と解すべきである。そこで、本件わいろが授受された時点(昭和六一年九月三〇日ころ)における本件株式の価格を算定するに当たっては、昭和五九年一月以降本件コスモス株の店頭登録までに店頭登録された三八銘柄の株式のうち分売により株式公開の行われた六銘柄についてみると、いずれも店頭登録日における初値は最高分売価格で決定され、その翌日以降の一般取引開始後の株価は相当の期間初値を上回って推移していたという従来の実情があったこと、そして、本件当時の株式市況は全般に好調であり、ことに不動産業界は不動産ブームで業績が良く、コスモス社の業績も好調であったことなどから、本件わいろの授受当時、コスモス株についても店頭登録されれば最高分売価格で初値が決定され、その後の株価も相当の期間初値以上で推移することが確実に見込まれたこと、昭和六一年九月一六日の打合せ会において、大京観光と三井不動産の二社を類似会社にする方針を決めて試算された最高分売価格は五四一〇円であったこと、同年一〇月一三日のコスモス社取締役会において、類似会社を先と同じとし、右二社の直前一か月間の各平均株価を基に改めて算定した結果により、最高分売価格を五二七〇円と決定し、これが、同月一五日、日本証券業協会の理事会で承認されたこと、同月三〇日の店頭登録日の初値は、右最高分売価格の五二七〇円であり、翌日以降の一般取引においては、昭和六二年九月八日の安値が五二五〇円となるまで、高値、安値とも、右初値以上を維持していたことなどを考慮し、昭和六一年一〇月一五日に日本証券業協会理事会の決議で承認された最高分売価格であり、その後の同月三〇日の店頭登録日の現実の初値となった五二七〇円が、本件わいろの授受時点における本件株式一株当たりの価格であると認めるのが相当であり、これを基にして前記のとおり算定したものである。

(量刑の事情)

本件は、労働事務次官であった被告人が、労働省職業安定局長在任中に、リクルート社等に対し自己の職務に関して好意ある取り計らいをし、結果としてもリクルート社等が反対する就職情報誌に対する法規制を見送ったことなどに対する謝礼の趣旨及び今後も労働事務次官である被告人から同様の好意ある取り計らいを受けたいとの趣旨の下に供与されるものであることを認識しながら、リクルート社の社長であるAから、近く店頭登録が予定されていたコスモス社の株式を低廉な価格で譲り受けて多額の利益を受けたという事案である。

被告人は、長年にわたり労働省に勤務し、職安局長、労政局長を歴任した上、本件当時は、労働事務次官として、同省各部局の所掌事務全般を統括し、部下職員を指導、監督すべき地位にあったものである。本件は、このような要職にあり、部下職員の模範となるべき立場にある被告人が、何らの抵抗もなく、Aからの申し出を受け入れて株式譲渡の形でわいろを収受したものであり、その結果、労働行政に対する国民の信頼はもとより、国家公務員一般に期待されている職務執行の公正さ、廉潔の保持に対する国民の信頼を著しく失墜させた責任は重大である。また、被告人は、本件株譲渡前後にも、自己の職務に関して、多数回にわたりリクルート社から飲食、ゴルフ、釣り等の接待等を受けており、本件株譲渡も、そのようなリクルート社の被告人に対する利益供与等の一環としてなされたと解されるのであり、それらを安易に受け入れてきたところに見られる規範意識の鈍麻を考慮すると、その犯情は悪質である。

他方、被告人の本件株式の譲り受けは、Aからの一方的働き掛けに応じた受動的なものである上、わいろ供与の申し出も店頭登録が予定されていた未公開株の譲渡という巧妙な方法でなされたものであって、被告人のわいろ性の認識に欠けることはないものの、わいろである利益の価額をわいろの授受時点において明確に認識していたとは証拠上認めがたく、その意味では犯情において酌むべきものがあるといえよう。また、被告人は、昭和二九年四月に労働省に入省以来、労働事務次官を退官するまでの間、労働行政に多大の貢献をしてきたもので、なかでも、障害者等の雇用促進については、率先して、特に意を用いてきたものと認められること、被告人は、昭和六二年九月労働省を退職し、本件が発覚した当時は、全国民営職業紹介事業協会長及び日本障害者雇用促進協会長の役職にあったが、本件により、これらの役職を辞任するのやむなきに至ったこと、本件で一か月余りに及ぶ身柄拘束を受けたこと、被告人は、本件発覚後、本件株式の売却により得た利得にほぼ相当する七〇〇万円を全国重度障害者雇用事業所協会に寄付していることなど被告人のために考慮すべき事情も認められる。

そこで、以上の諸事情を総合考慮の結果、被告人に対しては、主文掲載の刑に処した上、主文の期間その刑の執行を猶予することを相当と判断したものである。

(裁判長裁判官中川武隆 裁判官松本利幸 裁判官松並重雄は転補のため署名押印することができない。裁判長裁判官中川武隆)

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